僕は部屋でひとりぼっち

くさばといいます。

姉妹あれこれ空腹にて思う

母親に、病気で苦しんでるのが本当にかわいそう何かしてほしいことはある?と言われた時、1番強く思ったのはそんなのは中高生の頃姉にいじめられている時に言ってほしかったということだった。それを言ったらわたしの子育ては失敗だったのかと泣かれた。

実家にいるとあの時つらかったことを今でも思い出す。わたしが今の状況になったことと姉のことは多分関係ないけど、それでも恨まざるを得ない。仕事で理不尽な目にあっても砂を噛むような思いをしても我慢できる。他にもそういうことがあると言われれば納得できる。でも家族って色々あるじゃん、とわたしより家族関係が複雑な友人に言われた時、姉のことに関しては譲れない受け入れられないと思った。全然過去のことにできない。まだ泣いちゃう。前も書いたかはわかんないけど、姉っぽいタイプの人を見るとわたし嫌いになるんじゃなくて逆に好いちゃうし気に入られ方も知ってんだよね。ここ闇が深いところなんだろうなって思う。

祖母の話

母方の祖母はわたしが小学校4年生くらいの頃に亡くなった。年一でしか会わなかったしあまり思い出もないけど母親から話を聞くと色々面白かった。祖母は四国の普通の家に生まれたが、頭が良く手に職をつけたいと思い看護学校に入った。そこがこの世界の片隅でで聞き馴染みのある広島の呉。海軍士官学校の隣に看護学校があったらしい。当時の海軍士官学校にいるのは日本のエリートばかり。まず顔が良くて背が高くないと入れないらしい。(本当か?)祖母の初恋もそこの人だったけど顔がいい男はみんな大和に乗って死んでしまった。残っているのはブサイクばかり…と言っていたとか。笑

看護学校を卒業した祖母は身内のツテを頼りに中国に渡って北京大学付属病院に勤務した。当時は日本軍が占領していて、日本とは比べ物にならないくらいみんなおしゃれでお金を持っていたと言っていた。そこで何人もの人からプロポーズをされたらしい。しかし敗戦後、引き揚げは着の身着のままで大変だったと聞いている。母いわく、当時のことはあまり話さなかった、よほど大変だったんだろうとのこと。そして日本に戻って一度結婚する。しかし祖母の家があまり裕福でなくて嫁入り道具に蚊帳が入ってなかったことを姑にチクチク嫌味を言われたらしい。蚊帳って!それを夫が全然庇ってくれなかったことに嫌気がさした祖母は手に職あるし!と離縁して、地元の病院で働き、当時にしては珍しい恋愛結婚で祖父と結婚して、母親たちを産み育てた。

祖父も祖父で、大学生の頃スキーしてたら二・二六事件が起きてびっくりしただとか、軍人になりたくないから医者になって軍医になったとかエピソードはある。祖父はぼんぼんだったらしい。そんな祖父はボケてから、90を過ぎても戦時中のことを話していたのでやはり戦争が残す爪痕は何十年経ってもあるのだなと思う。

わたしは大学で中国学を専攻していたので以上の話を先生たちにしたらめちゃ盛り上がっただろうな〜〜という感じ。そしてやはり手に職、特に看護師は強い。そんな祖母に育てられた母も一応手に職(使える資格)あるが、そんな母に育てられたわたしには手どころか職がない。資格もねえ。病気とはいえ急かされていない時点でわたしは相当恵まれているなと思った日曜日でした。

面白かった本(シリアの秘密図書館とサイラス・マーナー)

https://www.amazon.co.jp/シリアの秘密図書館-瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々-デルフィーヌ・ミヌーイ/dp/4488003877/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=シリア秘密の図書館&qid=1570346303&sr=8-1

ツイッターで見て、内戦の最中瓦礫の中から本を見つけ出して図書館を作っている人たちがいるという見出しだけで引き込まれて購入した。シリアの内戦については時折ニュースで斜め読みする程度の知識しかなかったけど、これを機に少し調べてなんというか解決への道のりの難しさを知った。代理戦争の狡猾さと悲惨さよ。

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本によって一時的にでも現実から逃れようとすることの祈りのような時間は紛争の最中でもその力を発揮する。というか真髄のような気がする。銃声が鳴り響き隣人が亡くなり食糧も尽きかけているダラヤという街での読書と、平和な日本のストレス社会での読書は比べられるものではないけれど本質は同じだと思う。本ってすげえや、ということを改めて認識し続けられた。

この本のすごいところとかはAmazonのレビュー見たら一発でわかるから改めて書かないけど、自分が印象に残ったのは、政府寄りのメディアからはテロリストと呼ばれる彼らが、パリでテロが起きた時に著者(フランス生まれ)に対して心を痛めて同情のメッセージを送ってきて、著者が感激するところ。「フランスでの出来事に深く心を痛めている。ダラヤの僕たちはテロに反対する。もし僕らが苦しくなく爆撃が酷くなければ連帯の証に蝋燭を灯すが、それもできない。テロが起きたのはフランスが僕らの自由を支持しているからだと知っている。心から感謝する」(意訳)著者はこれに対してテロリストは謝らない。テロリストは死者のために涙を流さない。テロリストは『アメリ』やユゴーを引用しない。と結んだところ。反アサド政権側にはIS国のような本当のテロリストがいるけど彼らとは本当に全然違うのだ。本当に全然。

これ書くのに読み返したら書きたい事いっぱい浮かんでまとまらなくなったので次いきます。ちょっとでも気になったらお勧めします。

ちびちび読んでて最近読み終わったのがこの本、サイラス・マーナー。

https://www.amazon.co.jp/サイラス・マーナ―-光文社古典新訳文庫-ジョージ・エリオット/dp/4334754104/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=V400U2F2CP9D&keywords=サイラスマーナー&qid=1570349136&sprefix=Sairasu%2Caps%2C268&sr=8-1

本屋でなんとなく気になって買ったら1000円もしてびっくりしたやつ。19世紀初頭の田舎のイングラントが舞台。友と恋人に裏切られ故郷を捨てたサイラス・マーナーは村のはずれで機織りをしながら、稼いだ金貨を眺めるのを唯一の楽しみとしていきている。そんな彼におとずれた新たな災難…というのが裏表紙の説明。冒頭で無知で排他的な田舎の人間について触れてるんだけど、日本の田舎とも酷似している。

「遠い遠い地からやってきた者たちは、たとえこの地に根をおろしても、隣人たちの不信の目がいつまでも注がれており、長年、落ち度ひとつなく暮らしていたにせよ、いったん過ちを犯そうものなら、たちまち、そらみたことかと謗られる。」

よく日本の田舎批判でこういう文脈を見るけど海外も同じ事情なんだなーと思った。まあ19世紀イングランド現代日本の現状があまり変わってないということなら日本って…となるけど多分どこも同じなんだろうな。この前読んだオーストラリアの田舎を舞台にしたミステリでもそうだったし。

この本の作者はジョージ・エリオットという名だけど女性で、英国ビクトリア朝を代表する作家らしい。海外文学には疎いので知らなかった。人間の書き方がうまいというか、登場人物の描写をよくこんな俯瞰的に書けるなあと思った。面白かったけど高いしあんまり文庫本はないので全集買おうか迷ってる。全集は…なくない?高くない?

個人的に自分が胸を突かれたのはまたしても冒頭の以下の部分。

『このような無知な人々は、力はすなわち慈悲なりとは考えられなかった。日々の暮らしに追いまくられ、熱い信心がもたらす恩恵に浴したことのないひとびとにとって、その心のうちにある見えざる存在とは、一心不乱にお祈りをして、御供物をそなえて、はじめて災いを追い払ってくださるものなのだった。彼らにとっては、悦びや楽しみがおとずれるより、苦痛や災いに見舞われる方が、はるかに多かった。かれらの想像力には、欲望や希望を育む力はなく、恐怖を生み出す記憶だけがはびこっている。「何か食べたいものはありませんか」と年老いた労働者に(作者は)かつて訊いたことがある。不治の病で床につき、連れ合いが進める食べ物を一切拒んでいた。「いいや」とかれは答えた。「普段は同じもんしか食わんしなあ、そいつが喉を通らんでなあ」かれは食欲をそそるような食べ物を、思い浮かべることすらできなかったのである。』

後半がずどーんときた。まさにこのままいくと私じゃん…食べたいものがない!たまにタピオカが飲みたくなるくらい。でも意地でも料理はしたくない…。買い物に行くのが面倒で誕プレでもらったパックのご飯と漬物で晩御飯を済ませている。戦時中かと言われた。もしくは主食が森永のガトーショコラと電子レンジでつくるポップコーンになっている。肌荒れもひどい。食に関心のない人生でも幸せだと証明しなくては。でも食後にバナナを食べているので栄養的には問題ないと思う。ビタミンはスーパーの野菜売り場の匂いで補っているのでそこも改善したいと思う。匂いでビタミン摂取は我ながら新境地に至ったと思っている。こうして乞食ムーブで同情と心配を買う術だけを身につけている。どうしよう。主旨と外れたけどいいや。

サイラス・マーナーは面白かったです。

トラウマへ向き合うのかとか

人生生きてきて24年、フツーに生きていればフツーに受難はある。側から見たらわたしは恵まれている立場かもしれないけど本人にとっては苦難の日々だ。白黒つけられるものじゃない。

私は昔から文章を読むのが好きだった。そして文章を書くのも好きだった。だから誰のためでもない自分のための愚痴ブログなんかを中学生の頃からいくつか書いていた。18歳になって一人暮らしを始めた頃、私は家にいても嫌な気持ちにならないというカルチャー?ショックを受けた。ずっと心が穏やかなままでいられる!その頃から私は自分の家庭について文章にしてまとめようと試みた。親と姉との間にあった私の気持ちを形にしようとしてみたのだ。でもいつもまとまらずに途中で放棄していた。私はそのたび心が荒れるので、次第に文章にすることを諦めた。今思うと何故文章にしようとあそこまで躍起になったのかは分からない。多分何かに必要なプロセスだったのだろう。そして関連があるかは分からないが私は不眠症になり、引きこもり、うつになった。

今日、病院の帰りに図書館に行って本を読んだ。子供のトラウマに関する本だ。手に取ったのに深い理由はなくて、なんとなく子供の頃のトラウマが現在の自分にどう影響するのか知りたかったからだけど、分厚い専門書みたいで読破するつもりもなく漫然と読んでいてページは第2章の、ある部分に及んだ。詳細は省く。性犯罪者が子供、赤ちゃんに対して行った犯罪が、被害者が数年経っても数十年経ってもトラウマとして心に残っている、という話だった。子供のトラウマの本だから、話は性犯罪に触れざるを得ない。私はそこらへんを読んでから、自分の人生のある部分を思い出していた。当時は分からなかった、ある人物の、ある行為、そのグロテスクさ、卑劣さ。私はあれらがトラウマになっていることを自覚した。私はその本を読むのをやめた。まだ向き合えない。向き合うつもりもない。向き合ってどうしようというのか。また、身内か。

私が今こんなんになってしまった遠因として過去のあれやこれやがある。今、向き合うべきなのだろうか。(そういうことを心療内科やカウンセリングで話すべきなのでは?と思う一方そういうことがそういうことを話せない原因なのでは?とも思う)

いつまでも家庭や親戚や血縁に拒絶反応を起こすのってそれだけ私が信じたかったものたちなんじゃないかな、それに裏切られちゃって私可哀想だねって思う。赤の他人にされた痴漢と、身内からの痴漢って、別次元なくらい、心がちぎれる。

書きたいことがまとまらなくなったのでここらへんで終わり。トラウマの本質については今もまとめられないまま。

火葬を終えて

犬の訃報を聞いてから一人で泣いてスッキリしてしまったので実家に帰るのが少し億劫になりつつ電車に乗っていた。でも実際に家についてリビングに行って段ボールの中の犬を見て涙が止まらなかった。本当に眠ったように横たわっていた。いつも見る寝ている姿と全然変わらなかった。でも勿論寝ているわけではなくて、二度と起き上がることはなかった。撫でると少し固くなってたけど、ふわふわの毛はそのまんまで、綺麗にブラッシングされていた。犬は愛された犬だった。

犬は12年生きた。わたしが今年で24なので、わたしの人生の半分を一緒に生きたことになる。18歳で家を出たので本当に一緒に生活していたのは6年間だけど、人生の半分も一緒にいたとはなんか意外だった。そんなに生きてたの。

今回の犬の死は喪失、という言葉がしっくりくる。それまであった当たり前が無くなる。身内の死は祖父母しか経験がないけど、心理的距離的に離れて暮らしていたので喪うという言葉はしっくりこなかった。でも今回は違う。帰ったらキャンキャンうるさく鳴いてついて回ること。それを一旦無視して荷物を置きに部屋に行くとリビングで待ってたり部屋までついてきたりして撫でるのを待ちわびている姿。ごはんよ〜と母親が家族に声をかけると、誰よりも早く犬が反応して餌入れの前で騒ぐこと。ソファに寝っ転がると犬も一緒に寝っ転がってくること。そういう日常が無くなった。これを喪失というのだとはっきりと分かった。

まだ犬が死んで5日しか経っていないのに、そんなことを思う。でも確実なことだ。リビングに行って犬の柵があったところを見るまで、そこに犬はいると思っている。でも見ると何もいなくて、お花と水入れと餌入れと、犬の写真が置いてある。そのたび喪失を実感する。実家に数回しか戻らないのに、おびただしいほどの日数の犬がいた日々を過去のものとして認識できるのは分からない。

でもわたしは家に帰れば犬のいない生活がデフォルトになっているので日常に戻れる。だから一番犬と長い時間を過ごしてきた母親は辛そうだった。犬のいないリビングに居たくない、と言う。妹は来月から留学する。他の娘も家にはいない。父親はこういう時薄情だし、娘たちがいなくなったら母親の気がまぎれる何かがあればいいな、と思う。ネットフリックスではダメだ。

http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-15.html

これは犬が亡くなる前からいい文章だと思って保存していた記事だけど、犬を失った今読むと余計心に来る。でもラスト、ラストは母親に読んでもらいたい。いつか機会があれば勧めてみようと思う。

犬よ、安らかに。

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実家の犬が死んだ

タイトルの通り、実家の犬が死んだ。つい先程母親から電話がかかってきた。明日には火葬場に持っていくから会えるのは今日で最後、ということで急遽実家に戻ることにした。この前から夏バテのせいかあまり体調はよくなかった。ここ1年くらいで犬に老いを感じることがよくあった。でも死ぬときはそんなあっさり逝くんじゃなくて、今夜が山場だよみたいな感じで逝くと思っていた。父親は獣医だし、そんな風な別れ方をすると思っていた。でも違って、多分気がついたら死んでたんじゃないかな。まだ死んだという電話をもらったから詳しいことは分からないけど。ビビりでおバカでナメたことをするところのあるとても可愛い犬だった。同じ犬種の犬を見てもうちのが一番可愛いと思っていた。実家が心底嫌いだったとき、わたしと実家を繋ぎとめていたのは犬だった。犬がいなきゃ家なんて帰んねーよと思っていた。久々に実家に帰ったときの、あの熱烈な歓迎はもうないのだ。仕事をしてたら月曜に実家に帰るなんて無理だったろう、無職で良かった。これから実家に帰って最後のお別れをしに行きます。

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幸せは実家の犬の形をしている、という言葉ツイッターで見ていいねをした記憶がある。その言葉を見てからずっと私の中の幸せは実家の犬の形をしている。私は実家では幸せではなかったけど実家の犬は幸せの形をしているのだ。


どうにもならないッ

3ヶ月休職して、医者にまだ復職は無理だと言われ、退職の流れになりました。予想していたのでまあ、という感じです。

医者には鬱症状が出ているので薬物治療をしていく、と言われていろんな薬を試して自分に合う薬を探している段階です。適応障害だと思ってたけど鬱病だと言い切られてないから鬱なのかそうでないのかわからない。ただ常にネガティブなことしか考えられない、恐ろしいまでの体力の低下、好きなことに興味がなくなる、集中力が全然ない、俄然増えない食欲と体重などを考えると鬱なんかな、と思います。前は感じなかった苛立ちなんかもあって、感情に振り回されてます。短期で仕事を二回も辞めちゃって、ほんとどーしよっ。

でも前の自分の記事を読み返したりしてると、家事はできるようになってたり絶望的に体力がなかったりしてるわけではないので少し改善されているみたい。まあ仕事してなきゃ改悪はされないか。

そしてなんでこんなに生きるの辛いん?と思って臨床心理センターにカウンセリングを受けに行ってます。昨日が3回めだったんだけど、家族の、特に姉について話す時に泣いてしまった。姉について中学生の頃からずーっと考えてきたことを話したら、こらえきれなかった。次のカウンセリングでもっと深く話す予定なので、泣きたくないなーと思いつついい加減決着をつけたいので頑張ります。プロの前とはいえやっぱり泣きたくない。感情を表に出すのは苦手。なんでそうなのかってのを分析するとやっぱり姉の存在が出てくるので根は深いというか面倒くさい。

でも当面の問題は今後の身の振り方だ。来月までにバイトを始めるか、病気の治療に専念するかどうしよう。

どうにもならねえな!