僕は部屋でひとりぼっち

くさばといいます。

火葬を終えて

犬の訃報を聞いてから一人で泣いてスッキリしてしまったので実家に帰るのが少し億劫になりつつ電車に乗っていた。でも実際に家についてリビングに行って段ボールの中の犬を見て涙が止まらなかった。本当に眠ったように横たわっていた。いつも見る寝ている姿と全然変わらなかった。でも勿論寝ているわけではなくて、二度と起き上がることはなかった。撫でると少し固くなってたけど、ふわふわの毛はそのまんまで、綺麗にブラッシングされていた。犬は愛された犬だった。

犬は12年生きた。わたしが今年で24なので、わたしの人生の半分を一緒に生きたことになる。18歳で家を出たので本当に一緒に生活していたのは6年間だけど、人生の半分も一緒にいたとはなんか意外だった。そんなに生きてたの。

今回の犬の死は喪失、という言葉がしっくりくる。それまであった当たり前が無くなる。身内の死は祖父母しか経験がないけど、心理的距離的に離れて暮らしていたので喪うという言葉はしっくりこなかった。でも今回は違う。帰ったらキャンキャンうるさく鳴いてついて回ること。それを一旦無視して荷物を置きに部屋に行くとリビングで待ってたり部屋までついてきたりして撫でるのを待ちわびている姿。ごはんよ〜と母親が家族に声をかけると、誰よりも早く犬が反応して餌入れの前で騒ぐこと。ソファに寝っ転がると犬も一緒に寝っ転がってくること。そういう日常が無くなった。これを喪失というのだとはっきりと分かった。

まだ犬が死んで5日しか経っていないのに、そんなことを思う。でも確実なことだ。リビングに行って犬の柵があったところを見るまで、そこに犬はいると思っている。でも見ると何もいなくて、お花と水入れと餌入れと、犬の写真が置いてある。そのたび喪失を実感する。実家に数回しか戻らないのに、おびただしいほどの日数の犬がいた日々を過去のものとして認識できるのは分からない。

でもわたしは家に帰れば犬のいない生活がデフォルトになっているので日常に戻れる。だから一番犬と長い時間を過ごしてきた母親は辛そうだった。犬のいないリビングに居たくない、と言う。妹は来月から留学する。他の娘も家にはいない。父親はこういう時薄情だし、娘たちがいなくなったら母親の気がまぎれる何かがあればいいな、と思う。ネットフリックスではダメだ。

http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-15.html

これは犬が亡くなる前からいい文章だと思って保存していた記事だけど、犬を失った今読むと余計心に来る。でもラスト、ラストは母親に読んでもらいたい。いつか機会があれば勧めてみようと思う。

犬よ、安らかに。

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