僕は部屋でひとりぼっち

くさばといいます。

トラウマへ向き合うのかとか

人生生きてきて24年、フツーに生きていればフツーに受難はある。側から見たらわたしは恵まれている立場かもしれないけど本人にとっては苦難の日々だ。白黒つけられるものじゃない。

私は昔から文章を読むのが好きだった。そして文章を書くのも好きだった。だから誰のためでもない自分のための愚痴ブログなんかを中学生の頃からいくつか書いていた。18歳になって一人暮らしを始めた頃、私は家にいても嫌な気持ちにならないというカルチャー?ショックを受けた。ずっと心が穏やかなままでいられる!その頃から私は自分の家庭について文章にしてまとめようと試みた。親と姉との間にあった私の気持ちを形にしようとしてみたのだ。でもいつもまとまらずに途中で放棄していた。私はそのたび心が荒れるので、次第に文章にすることを諦めた。今思うと何故文章にしようとあそこまで躍起になったのかは分からない。多分何かに必要なプロセスだったのだろう。そして関連があるかは分からないが私は不眠症になり、引きこもり、うつになった。

今日、病院の帰りに図書館に行って本を読んだ。子供のトラウマに関する本だ。手に取ったのに深い理由はなくて、なんとなく子供の頃のトラウマが現在の自分にどう影響するのか知りたかったからだけど、分厚い専門書みたいで読破するつもりもなく漫然と読んでいてページは第2章の、ある部分に及んだ。詳細は省く。性犯罪者が子供、赤ちゃんに対して行った犯罪が、被害者が数年経っても数十年経ってもトラウマとして心に残っている、という話だった。子供のトラウマの本だから、話は性犯罪に触れざるを得ない。私はそこらへんを読んでから、自分の人生のある部分を思い出していた。当時は分からなかった、ある人物の、ある行為、そのグロテスクさ、卑劣さ。私はあれらがトラウマになっていることを自覚した。私はその本を読むのをやめた。まだ向き合えない。向き合うつもりもない。向き合ってどうしようというのか。また、身内か。

私が今こんなんになってしまった遠因として過去のあれやこれやがある。今、向き合うべきなのだろうか。(そういうことを心療内科やカウンセリングで話すべきなのでは?と思う一方そういうことがそういうことを話せない原因なのでは?とも思う)

いつまでも家庭や親戚や血縁に拒絶反応を起こすのってそれだけ私が信じたかったものたちなんじゃないかな、それに裏切られちゃって私可哀想だねって思う。赤の他人にされた痴漢と、身内からの痴漢って、別次元なくらい、心がちぎれる。

書きたいことがまとまらなくなったのでここらへんで終わり。トラウマの本質については今もまとめられないまま。