僕は部屋でひとりぼっち

くさばといいます。

あり得なかった青春のかたち

先日、高校時代の友人の吹奏楽定期演奏会に行って来た。


友人は一年浪人しているので学年は一個下になる。


友人の大学生活の集大成である。


吹奏楽も演奏もあんまり興味はなかったんだけど、ハッキリ言って感動した。


数十人もの人間が青春をかけて1つの目標にかける熱というか、気迫。OBOGの連綿と続くあたたかい空気と絆。


どれも私にはなかった青春のかたちだ。


友人からサークルでの人間関係の苦労や練習がめちゃくちゃに大変であることを聞いていた時は、なんでそんな思いしてんの、辞めちゃえばいいじゃんなんて思っていたけど、あそこには続けてきた者の輝きみたいなものがちゃんとあった。


そんなサークルすぐ辞めるわ、と思う自分でもそういうものを感じられたのは良かった。


本当に良かった。


単純に彼らの集大成には感動しつつ、

でもやっぱりわたしにはいらないなーと思う。


これは勝手な持論なんだけど、学校の音楽の先生は性格に難があるやつが多い。というか音楽に情熱をかけてる人。


小学校の頃の音楽の先生が合唱至上主義者で苦労したので、どーせ吹奏楽も先生が理不尽でよくわかんとこでキレ散らかすんだろと思ってた。


だから楽器を弾くこと自体は興味があったけど、吹奏楽には入らなかった。


ちなみに中学、高校の吹奏楽の友人達を見て、私の説は立証されている。


反面、美術の先生はけっこう好きだった(そして美術も好きだった)ので、まあ相性みたいなのが大きいと思うんだけど。


あと合唱や吹奏楽はやっぱり団体競技だから個人主義な美術とは土壌が違うんだろう。


ちなみに中学の頃は運動部だった。


普通に団体競技だったんだけど、普通に嫌だった。


親が中学は絶対に運動部という方針だったので美術部はなくなく諦めた。


運動部に入ることで理不尽な上下関係や縦と横との連携とか基礎体力とか色々身についたし今となっては良かったんだけど、やっぱり美術部に入りたかったという気持ちがある。


運動部に入っていてずっと疑問だったのは勝ちを目指すこと。


みんなで楽しく運動できればいいんじゃない?と思うんだけど、先生は常に争わせることとか、どんなに苦しくとも強くなることを教えた。


楽しく運動ーーじゃなくてひどく体育会系だったのは今でも疑問だ。


おかげで私はずっと運動が嫌いだった。怒鳴られるからね。


でも今はそーゆーゴリゴリの体育会系みたいなのではなくゆるい運動部みたいなのも出てきてるみたいだ。良かった。


上を目指したい人は上を目指して、そこそこでいい人はそこそこを選ばせてほしい。


私の学校に、特に運動部には選択肢はなかった。


でも、友人の集大成を見てそういうのもいいもんだなと思った。そしてそこで輝ける人が社会でも輝くのだと。


私は絶対要らないけど。輝きたくもねえし。