僕は部屋でひとりぼっち

くさばといいます。

京都旅行記:1日目

10月末で会社を辞めた。

で、12月からの仕事を見つけたので11月は何もすることがなくなってしまった。

その間暇だし、かといって精神もアレなので、母親に勧められて某セラピーを受けることにした。

そのセラピーの中で見せられた写真の中に仏像があった。

精神がアレの時に見る仏像ってなんか心に訴えかけてくるものがあって、そうだとりあえず京都に行こうとなった。

というか仏像を見たい。欲している。

ということで京都に行くことにした。


月曜の夜に新宿発、火曜の朝に京都着のバスに乗る。24:30発なのに21時くらいに新宿に着く。長距離バス必須アイテムという首用のマクラを買いに100均に行かなくてはならなかったからだ。無事手に入れ、喫茶店で2時間、待合室で2時間時間を潰す。

バスの中ではあまり寝れず、目をこすりながら京都へ着く。もう眠たい。帰って休みたい。

だが京都へ来てしまった以上、目的を果たさなくては。


まずはここっしょ〜的な感じで教王護国寺へ行く。京都駅から歩いて行けたから歩いて行った。

良かった。

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仏像たちを見る。

手を合わせる。

手を合わせる時の心の中の感じが、精神統一というものなのだなと思う。

今は精神的には少し落ち着いてるので、何が何でもすがろうという気にはなっていないので、何かを願うことはしなかった。

ただ祈った。何かに対して。


次に行ったのが広隆寺

弥勒菩薩半跏思惟像を見に行った。

こういうやつ。

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広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像を見るのが今回の旅の目的だったので果たせて良かった。

半跏思惟像の正面には大きな千手観音像があって、それもすごい迫力だった。

手首が折れているんだけど、華奢な半跏思惟像と違って重厚感が凄まじく、圧倒された。

今回の旅で回ったお寺では広隆寺が一番人が少なく穏やかでのんびりできた。

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京都駅からはちょっと行きづらいけどおすすめ。


そんで嵐山にいってぶらぶらして、

行くところが果てたので伏見稲荷大社に行った。

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なんかけっこう坂を登るんだな!と思って割とすぐ帰った。

日本人より外国人の方が多かったな。

台湾の九份みたいな?

昔は神社も好きでお稲荷様〜♡な時もあったけど今は寺!仏像!なので鳥居いっぱいだ〜という感想しか出なかった。


そのあと宿へ。

京都駅から歩いて15分かからないくらいの宿。民家の二階を人を泊められるようにした感じの小さな宿で、多分貸切だった。

安いところを調べて、古風でネット慣れしてなさそうな宿っぽかったから博打で予約したけど大正解だった。

おばあさんの女将さんの人の良さがいい。滲み出ているというか。1階が多分家族が生活しているスペースなんだろうけど、孫がおばあさんに甘えていてほっこりした。

気分的にはどこかの家に下宿している感じ。お茶も美味しかった。ただお風呂は男の人がいたらちょっと入りづらいかな〜という感じ。近くに銭湯もあったけど。

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そんな感じで久々にゆっくり湯船に浸かり癒された。


夜は「乾きと偽り」という小説を読んでいた。

渇きと偽り (ハヤカワ・ミステリ)

渇きと偽り (ハヤカワ・ミステリ)

オーストラリアが舞台のミステリーなんだけど、閉塞感のある田舎って日本と対して変わらない生きづらさがあるな、と思った。日本の田舎だけがネチネチしているわけではないのだ。

しかし京都とオーストラリアという非日常と非日常の交差が相まってよくわからん感じで寝た。

良い1日だった。